覚王山の顔とも言える日泰寺についてご紹介です。
私は仏教徒でもありませんし、神社仏閣マニアでもないので、詳しい事を知っているわけでもないのですが、覚王山日泰寺は何とも特徴ある寺院で、その割には広く知られているとは言えない感じもするので簡単に紹介してみます。
日本とタイのお寺という意味で日泰寺
日泰寺(にったいじ)という名前は、日=日本、泰=タイ王国、で「日本とタイの寺院」という意味で付けられた名前だそうです。
創建当時、現在のタイ王国の国名は「シャム」で、漢字では「暹」(せん)と表していたので、日暹寺(にっせんじ)という名前だったそうですが、1932年にシャムからタイに国名が変更されたことに伴い、お寺の方も1941年に日泰寺に名称が変更されたということです。
本堂の左側にはタイの国旗がはためいています。
縁日の日には気付かない方も多いかも知れませんね…。
日泰寺には釈迦の遺骨が安置されているらしい
では、そもそも何で日本とタイのお寺なのか。
それは、タイから日本へ贈られた仏舎利(釈迦の遺骨)を安置するために建立されたお寺だからです。
仏舎利塔って全国各地のお寺にあって、「本当にお釈迦様の骨がここにあるの?あるとしたらスゲー。」なんて思った記憶がありますが、それらのほとんどは象徴的なもので実際に仏舎利が納められている訳ではないというのが私のつたない理解。
しかし、日泰寺に安置されているのは正真正銘の仏舎利なんだそうです。
1898年にインド北部で発見された人骨の入った壺に書かれていた古代文字を解読したところ、その人骨は釈迦の遺骨であることが判明したとのこと。
そしてこの仏舎利は、当時インドを支配してたイギリスから仏教国のシャム王国(現在のタイ王国)に寄贈され、さらに当時のチュラロンコン国王からビルマ(現ミャンマー)、セイロン(現スリランカ)、そして日本へと贈られました。
この仏舎利を安置する寺院をどこに建立するかについては、当時の仏教界内部でなかなか意見がまとまらなかったそうですが、最終的には官民一致で誘致をした名古屋に新しい寺院を建立して安置することに決まったのだそうです。
この経緯だけを見ても、お寺としてはかなり特別な存在、日本全国にその名の轟く有名寺院、となっていてもおかしくないと思うのですが、そうでもないですね…。
紀元前4世紀頃のインドで、当時の世界からすればいわば革命的な思想を伝道した釈迦の人生、旅路を想像すると、仏舎利が長い年月と距離を経て身近に奉られているということには、仏教徒でない私でも感慨を覚えます。
ちなみに、仏舎利は本堂から少し離れた「奉安塔」に安置されています。
タイ国王とお伴の象さん
そんなわけで、日泰寺の境内には、仏舎利を日本に分与してくださったタイ王国(当時のシャム王国)のチュラロンコン国王(ラーマ5世)の銅像も立っています。
凛々しいですね。
この記事の冒頭の写真は、国王にお伴する象さんです。国王の足もとに2頭の象がかわいく付き従っています。
覚王山の「覚王」とは釈迦のこと。
では、覚王山日泰寺の「覚王山」という名は何か。
「覚王」は「覚りの王」として釈迦を敬った呼び名です。日泰寺建立の際、山号(お寺に付ける称号)をこの「覚王」から覚王山とし、覚王山日泰寺となったのだそうです。
そして、覚王山日泰寺を中心に開発されたのが覚王山の街です。現在は正式な町名としては、覚王山通7・8・9丁目しかありませんが、東山線の覚王山駅、参道を中心とした覚王山商店街の名前などで、広く知られています。
(余談ですが、私が働く「覚王山ハウス」は覚王山通9丁目にあります。私は「覚王山」という響きが好きです。)
山門には仁王様ではなく釈迦の弟子たち
多くの寺院では、入口の山門の両側にすごい形相の仁王像がこちらを睨んでいますが、日泰寺では違います。
右側にはこんなお方…
左側にはこんなお方…
この方々は釈迦の弟子で、右側が阿難、左側が迦葉。
私は小さい頃、近所のお兄ちゃんに「あそこのお寺の仁王さんが夜中になると動き出すぞ」と教えられ、本気でビビった思い出がありますが、この方々ならビビることはなさそうです。
覚王山日泰寺は日本唯一の超宗派のお寺
覚王山日泰寺はタイから贈られた仏舎利を安置するという寺院の性格から、どの宗派にも属さない日本で唯一の超宗派寺院です。
住職は19宗派の管長が3年交代で勤めているそう。
そのせいなのか、とてもオープンな雰囲気のあるお寺です。
日泰寺は空襲で全焼したため、その建物は再建された新しいもので、いわゆる「古刹」の雰囲気はありませんが、広い境内に立つと空が広く拡がり気持ちのいい場所です。
その独特の由来や超宗派での運営、覚王山商店街のイメージシンボルともいえる象さんの像など、興味をそそられるお寺です。
覚王山の街で(ほぼ)最も高い場所にあり、かつて街の発展の中心となっていた日泰寺。是非一度足を運んでみて下さい。
縁日(毎月21日)の日には境内にもお店がたくさん出て賑やかです。でも個人的には普段の静かな境内が好きです。
【参考】
ウィキペディア – 覚王山日泰寺
日泰寺専門僧堂 – 覚王山日泰寺
外務省 – 日泰寺
パウダー
日泰寺さんの創建が国際交流が原点で・・・紆余曲折をへて今に至ってるなんてすごくロマンチックな歴史があると知って感激してます。ただお祭り気分で毎月の弘法さまを楽しんでいた事が申し訳ないと反省しきりです。こんどからは感謝の心で遊ばせていただこうと思います。ありがとうございました。
the manager of kakuozanhouse
パウダーさん、こんにちは。いつもお読み頂いてありがとうございます。
日泰寺は特別なお寺なのに、名古屋の人にもその由来はあまり知られていないような気がします。他の地域となると全くですね。もったいない。
もっと知られるといいな、と思います。
片山泰(ゆたか)
私は遠方にすんでおりますが、いつか日泰寺にほうもんできますようとおもいます
the manager of kakuozanhouse
是非いらしてくださいね。
☆晃☆
私の住まいは茨城です。二人で訪れる事は無いかも知れませんが出来たらまた二人で行きたいと思います。私にとって忘れる事の出来ない寺院です。
the manager of kakuozanhouse
茨城とはかなりの遠方ですね。
是非またお二人で日泰寺にお越しになることができるよう、お祈り申し上げます。
かとう けい子
泰安塔の全景を拝見できる時はありますか いつもは門までですが
岩月泰
覚王山山門町で育ち今は神奈川県に在住の81才の男性、日泰寺については不勉強だったことお恥ずかしい、日泰寺は名古屋市が中心となり世界遺産登録を目指すにふさわしい
hitomi
はじめまして(⁎˃ᴗ˂⁎)
先程フジテレビの番組で、国分太一さんがこちらの日泰寺を散歩していました。日本で唯一、お釈迦様のご遺骨が納められているとも説明があって、行きたいなって思いました。名古屋にはお友達がいて、以前は年に一度は行っていたのですが、もう5年くらい行けていなくて、もっと早く知りたかったな〜って思いました^^;
のり
妻の祖父の分骨が納められております。名古屋の志のある方々とゆかりが深く、墓じまいしたい方は、検討に値すると思います。家の宗教から個人の宗教へがモットーの真宗大谷派としても、お勧めします。
中山 タケシ
井上希道老師の釈尊伝を読んでいて、日泰寺の名前が出てきました。覚王の文字もありました。
一度お参りに行きたいと思います。
ありがとうございます